玻璃質の残忍さ
三島由紀夫の孔雀に出てくる三島由紀夫自身の永代問題であろう美と滅びに対する存在形態が面白い金閣寺や仮面の告白、豊饒の海にも度々目にするテーマだ「殺されることでしか完成されない」美しさの極致を突き詰めた視点が異様である程に魅了される最たる例のようでその表現は品を持ちながらも絶世の美少年が時間の経過と共に衰えて、残る欲だけの粗野を貫いている加えて変わることの無い孔雀の羽根の美しさと、美少年とを合わせた表現が実に秀一だ失われてゆくことで完成するロミオとジュリエットやリア王等のシェイクスピアの作品を思わせる危うく虚げで残忍な美意識だ(この思想が少女漫画や引いてはBL本、多感な10代の繊細な感性の琴線に触れて今なお不動の人気を博している)まさに玻璃質の残忍さと言う表現に納得しかない耽美さに身悶えしてしまう木曜日出勤します10:00〜16:00ご用命をお待ちしてますiPhoneから送信
その先に内科の病院があった
公道を道なりに進めば救世軍の教会、
下町の工場があちこち点在する
その公道に猫が伸びていた
下半身だけがペシャンコだった
鼻から少し血が出てる以外は
笑った顔のまま
昼寝してるだけのように
幼い頃から生き物の尊さ、
1人の生命は地球より重い等と
念仏のごとく聴きながら育った
それなのに、
生き物の死をそのまま放置する
その現状に衝撃を受けた
猫の側を素通りしてゆく大人、
登下校で素通りする自分
気にせず走る車
誰もが見えないように装っている
その事実が嫌だった
私は気づいているし、
それはあまりにも非情だと感じた
家から段ボールを持ち出して、
初めて触る生き物の死骸に
震えながら抱き起こそうとした
近づくと、猫の身体から異臭がした
タイヤの跡のついた下半身は
アスファルトにべったり張り付き、
スルメのようだ
パリパリとはがして抱いた
初めて触る「死」だった
すると今まで見ぬフリしていた
近所の子らが見に来た
猫だ、可哀想、死んでるの?
口々に話しては皆触りたがった
私は近所の子と段ボールに猫を入れて、
タンポポをちぎって入れた
近所の子らの内で誰かが
この猫、病院の猫だと言った
小学生の頃だった私達は、
病院の玄関の端に猫の入った段ボールを
置いて、本当はお線香を焚くだの、
お葬式をするだの、話し合いながら帰った
帰宅したら母に何して遊んだんだと
詰問されたが、怖くて言わなかった
母は服が異様に臭いと文句を溢していたが
3日後、下校した私を抱きしめた
病院で、猫が居なくなって探していたら
段ボールに綺麗に入れてもらって、
沢山の花まで入っていた
大事にしていた猫だから
誰が見つけてくれたのか近所中に聞いたら
お宅だと伺った
感謝してると伝えて欲しいと
病院の先生が訪問に来たと母が言った
怒られなくて良かったと
胸を撫で下ろしたのを覚えている
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