野辺の燐光
夏の足音が聞こえてくる度、それはやってくる。静かに私の横に佇み、やあ。と挨拶する。絶望は気配もなく現れる。夏の夕暮れが近くなると、裏盆で灯る迎え火が、青白い燐光を放つのを思い出す。玄関先で燃える仄暗い光は、狐火のようにチロチロと一筋の細い煙を吐き出し、それは映画の「蛍の墓」を連想させ、幼い頃は迎え火を見る度、泣きたくなった。生暖かい風が吹き、空が赤く焼けて鈴虫や蝉が鳴く。あの子が衝動的に飛び降りたのも6月頃だお葬式屋の一人息子だった。人付き合いが苦手で繊細すぎた男の子は、好きな女の子に受け入れてもらえない事に絶望し、他人の視線が怖くなり、サングラスをかけて付き纏った。自分を分かってもらいたくて脅迫する様に自分の不幸を吐露し、脅すことで自分が傷つかないように、小さなナイフを持ち歩いていた。学校でも問題視された初夏の夕暮れ、男の子は衝動的に家の窓から飛び降り、自らの真っ赤な心臓まで好きな女の子に捧げてしまった。今でもお焼香と読経の混じった空虚な室内と、青白い蛍光灯を思い出す。ひたひたと冷えた記憶の味を確かめた後、絶望は満足そうにため息をつくと、気づくと部屋から消えていた。iPhoneから送信
こんな日は、幼い頃が走馬灯のようにくるくると回ります…
昔、家で黒猫を飼っておりまして。
黒猫は大変に賢く、またハンターでもありました。
蝉やネズミはおろか、近所中の鳥という鳥をハントするので、洗車なさる奥様方の悲鳴を聞くたびに窓をそうっと閉めるのが我が家の日常でした。
(猫という生き物は、大抵車の下で獲物を食すので食べ残しが車の下に散るのです…羽とか足とか)
買い物に行けば店の外で待ち、呼べば犬のようにやってくる。
誰しもが賢いわねえと黒猫を褒めておりました。
黒猫はさも当然と言わんばかり。
私なぞ家族の最下位とでも言うような態度で、父や母に愛でられる反面、食卓を用意するのが私だと分かるやいなや机に乗り、刺身を当たり前のように食べてしまうのです。
豪胆というか、舐められていたと言うか…
当時の私はと言えば、身体が弱かったせいで本ばかり読み、1ヶ月に一回は高熱を出すありさま。
同じひとつ屋根に住む黒猫も、心配してくれていたのかもしれません。
ある時、熱を出して寝込んでいた私の部屋に、黒猫は「精力つけろよ」とばかりにハントした鳩の頭をお土産してくれたのです。
夜中にトイレで目覚めて、それを発見した時、軽く踏んづけてしまった私の気持ちたるや…
けれどもショック療法とでも言うのでしょうか、もがれた鳩の頭を踏んづけて以来、熱は下がりました。
熱で心が弱るせいか、その時の黒猫をツラツラと思い出します。
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