ディヤーナ
心の安寧を持って真理を追求する禅のサンスクリット語が「ディヤーナ」だ人付き合いの苦手な私は、よく前後に悩みくよくよと考えてしまう言わなければ、ああすれば、こうすれば…毎日似たような事に悩み、毎日同じような事に悩み、気がつけば、くよくよする自身に対して問答する別の自分が出てくるいやいや、あの場はしょうがないその程度の主張ならいいんじゃないかなこうした所で、変わりはしない自分の行動を自認するとそれはそれで、また別の自分が顔を出して反論してくる「しょうがない」と言い出したらなんだって「しょうがない」で済んでしまうその程度と言うが、人の価値基準という物は一律では無い一方的な決めつけというのはいかがなものかと…3人よらば文殊の知恵と言うが頭の中は国会議事堂なみに紛糾して収拾つかず解決せず、より難解になるそこへもって日和見菌ならぬ風見鶏の自分が顔をもたげてくるなるようにしかならないんじゃないかな他人から見れば耳を貸す価値がないし全てどうでもいい事じゃないかうん…まぁそう、と頷きかけるがあまりにも無責任だとヤジが飛ぶ北斗の拳なみの太眉な私が厳しい目つきで筋を通せと指摘する信頼という物は…と、くどくど煩いまぁ、確かに、そうではござんすが…頷こうとするものの辛口なスネ夫の私が皮肉交じりに呟く周りは面倒くさいから適当に合わせるだけで、聞いちゃいないよ筋を通したって誰も気づきもしないさ多種多様な自分に辟易して内なる声に耳を傾けないようにイヤフォンで音楽を聴くどうにも真理の扉は開きそうにない火曜日出勤します10:00〜16:00ご用命をお待ちしてますiPhoneから送信