下町まちしるべ
帰り道に昔の地名の由来について書かれた案内の前を通りかかりました。 旧上根岸町 きゅうかみねぎしまち 呉竹の根岸の里は、上野山を背景にした田園風景と清流 音無川の流れる静寂の地であった。 江戸時代から「根岸の里の侘び住まい」といわれ多くの文人墨客が好んで住んだ。 そのむかし、この付近には大きな池があった。そして上野山のもと(根)にあったことから、 すでに室町時代には根岸と呼ばれていた。江戸時代初期、根岸は金杉村に属し、いくつかの民 家が建っていた。風光明媚の地であったことから文化文政(一八〇四~一八三)の頃には別荘 地として二百戸余りになっていた。明治二十二年(一八八九)、根岸は下谷区に編入されたあと すぐに上根岸 町、中根岸町、下根岸町に分けられた。 「雀より鶯多き根岸かな」 俳人正岡子規は、明治二十五年から同三十五年まで根岸に住んだ。 今、その住まいは「子規庵」として残されている。室町時代から根岸という地名があったのですね江戸時代初期の金杉村の民家や雰囲気も気になります。正岡子規の暮らしていた頃は、雀より鶯が鳴いているような場所だったんだあ今とは違い自然豊かだったのかもと当時の風景を想像するだけで楽しめます。急に今夜は鶯餡を作ってみようかと思い付きました。家族がたまに作ってくれた思い出の味です。本日再びのご縁初めてのご縁お時間頂戴いただきありがとうございました。まだ暑いですが秋への移り変わりが楽しみですね。その頃にまたお顔が見られたら嬉しいです。
今朝の日記のつづき
400年前徳川家康がジェームス一世に送った手紙には
「雲と潮により何千里も隔てられてはいても、我々の領土はまるで互いに近接しているかのようです」
このような内容が綴ってあったそうです。
今も続いている日英の交友関係
これからの未来にも繋がっていってほしいですよね
チャールズ国王のお店
行ったら載せますね。
先程は再びのご縁
長い時間を作っていただき
ありがとうございます。
おすすめして下さった宮本輝の小説
「優駿」の感想聞いていただけて嬉しかったです。
涼しくなった時期の再会
楽しみにしていますね。