へ・ん・な・ひ・と
山手線で、年配の、足のわるいおばあちゃんがいる手すりのあるところを譲るも、不安定で心配になる「大丈夫ですか?」「ありがとう」「どちらまで行くんですか?遠いんですか?」「池袋だから」(こんな会話してたら誰か席を譲るだろう)と思ったけど、誰も席を立とうとしない(えー!)幸い次の駅で降りた人がいて座れたからよかったけど世の中へんなひとばっかりだと思うそしてたぶんここではわたしがへんなひとああ、「立ちなさいよ!」って言いたかったSave me, come on and save me from the ranks of the freaks that suspect they could never love anyoneエイミー・マン好きだなひさしぶりに音楽でも聴くか今日も17:00まで受付でお誘いお待ちしております
昨日死語の話をしたけれど
その後も来てくれた方と言葉の遣われかたについて話したり
言葉もまた新陳代謝を繰り返しブラッシュアップされていく
ときに本来の意味合いすら失われることもある
それはよくないこともあるけれど、ときには素敵なことでもある
たとえば自分ではもはや使いづらいような日進月歩のワカモノコトバ、も
廃れるのが忍びないような妙な言い回しもある
(「妙」や「微妙」も、マイナスのニュアンスで遣われることが近年多いけど、本来は肯定的な意味合いの言葉のはず)
たとえば
「うれしみ」とか、好き
「ぽよ」とか「たん」とかも、けっこう好き
「ちょ」とか「りょ」とかも、かわいい
響きと意味がバチっとくる瞬間に、ときめきがある
その舌ざわりが癖になって口に出して言いたくなる
しかしやっぱり
「マジ」「ヤバい」「超」は言っちゃうけど、
言っちゃうんだけどいつまで経っても心地わるいコトバだなと思う
「あいやぁ」「まろい」「いと」とかにしたい
していいですか?勝手に
では今日は17:00まで受付で、お誘いお待ちしております