奈良世界遺産の旅 1日目
*奈良世界遺産の旅 1日目*朝8時に出発予定が運転手の友人が寝坊し、9時半過ぎに名古屋を出発高速に乗って飛ばすものの、奈良に到着したのは12時ちょい前友人がサプライズで予約してくれたレンタル着物屋「FUJI KIMONO」へ店内はお客さんが沢山いらしてて大変そうでしたが、接客、着付け、ヘアメイクと手際よくこなすスタッフさん達は無駄がなくチームワークで急ぎながらも丁寧に仕事をこなす姿に感激しました!この日奈良はかなり暑かったので私達は浴衣をチョイス!中国人の友人は初めて浴衣を着たのでとても嬉しそうでした(o^^o)準備を整えて いざ「東大寺」へ東大寺は修学旅行生や観光客で大賑わい!!鹿と人をかき分けて大仏殿へ学生時代に見た時よりも大きく感じ、盧舎那仏の穏やかな表情を見てると優しく包み込まれた様な温かい気持ちになりました。盧舎那仏の手は、手のひらを前に向けている右手は、「恐れなくてもよい」と相手を励ますサイン。施無畏印(せむいいん)と呼ばれます。手のひらが上を向いた左手は与願印(よがんいん)と呼ばれ、人々の願いを受け止めて叶えてくれることを表しています。盧舎那仏の両脇に鎮座している像は左は虚空蔵菩薩坐像(こくうぞうぼさつざぞう)、右は如意輪観音菩薩坐像(にょいりんかんのんぼさつざぞう)と言います。3体合わせて、三尊像の形式をとっています。虚空蔵菩薩坐像は拝むと記憶力が良くなると言われ、如意輪観音坐像は願いを叶えてくれ、あらゆる苦しみから救ってくれると言われています。大仏殿の奥に歩みを進めると、北西端に「広目天立像(こうもくてんりゅうぞう)」、北東端には「多聞天立像(たもんてんりゅうぞう)」が立っています。これら2体の像は、仏教の守護神である四天王像の一部。四天王像の残り2つは、持国天と増長天ですが、こちらは頭部のみが安置されています。大仏殿を出て南大門へ(消しゴムマジックで加工)長きにわたり、時代を見つめてきた南大門は、鎌倉時代に建てられ、奈良時代に建設されましたが、平安時代中期に大風で倒壊。鎌倉時代に東大寺復興に力を尽くしたことで知られる、重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建に取り組み、今に至ります。大きさだけではなく、歴史を感じるさまに日本建築の素晴らしさ、凄さを改めて実感しました。そして両脇に立つ金剛力士阿吽像。天才仏師の運慶と快慶が率いる「慶派」の仏師たちが1体あたり約3,000ピースもの部材を接合する寄木造りという緻密な作業にも関わらず、2体合わせてわずか69日という短期間で造られたそうです。歴史の背景を知った上で見ると、感動もひとしおでした。やっぱり東大寺は素晴らしいですね!東大寺を満喫し駐車場へ戻る途中、鹿せんべいを買って鹿と戯れてきました!この子(鹿) 人懐っこくてお行儀良くて可愛かった〜(*´ω`人)通りに出ると可愛いアイスクリームを発見鹿をモチーフにしたソフトクリーム!暑かったのでペロっと頂いちゃいました。今日はここまで!次回この続きをお届けしま〜す。
薬師寺 金堂に祀られている
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月光 菩薩が安置されます。 金堂は享禄の兵火により焼失しましたが、薬師三尊は光背を焼失するも、お像は当初の造形をのこしています。曼網相 、法輪の模様の千輻輪文 が、胸の中央には卍文様、足には千輻輪文や双魚文などの文様が線刻されています。 これは『観仏三昧海経』などに説かれる如来の特徴を表現しています。古代の金銅彫刻でここまで繊細に表現された仏像は希有であり、天武天皇・持統天皇の思いを現代に伝えてくださいます。造立当初は、 鍍金が施され金色(こんじき)に輝いていましたが、現在は一部をのぞいて漆黒の姿になっておられます。瓔珞 には、ガラスが嵌められてたと考えられています。 現在は失われていますが、古代の技術の高さと当時の荘厳なお姿が偲ばれます。
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宣字形 台座は、類例を見ない意匠を凝らしたものとして有名です。框 にはギリシャ由来の葡萄唐草文様 、ペルシャの蓮華文様が描かれます。 中段には四面に6つの窓があり、窓の中から裸形の力神(蕃人 )がのぞきます。また南北面の中段には堅牢地神 が描かれ、柱状の須弥山 とその上に座る薬師如来を支えています。 下框には四方に中国の霊獣である四神(東=青龍・南=朱雀・西=白虎・北=玄武)が表現されています。特に翼を大きく広げた朱雀、胴長に描かれた白虎、丸く円をかたどる玄武の姿は、高松塚古墳やキトラ古墳の装飾壁画とも類似しており、 白鳳時代の文化を今に伝えています。
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法苑林 菩薩、左に大妙相 菩薩を従える三尊形式となっています。植槻寺 (大和郡山市)で祀られていたと伝えられていますが、中世には薬師寺に移され西院伽藍、 旧講堂の本尊として祀られました。 平成5年(1993)には弥勒如来の台座などの修理が行われ、大講堂の本尊として祀られました。
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国宝 薬師三尊像
中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に
*薬師如来【国宝】*
薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来といい、東方に位置する浄瑠璃浄土の教主です。藥師如来は人びとの病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくださる仏様として信仰を集めています。
薬師寺の薬師如来は、像高254.7㎝、いわゆる丈六像の大きさを誇ります。手には水掻きのような
*日光菩薩【国宝】*
*月光菩薩【国宝】*
薬師如来の左右に立つ日光菩薩、月光菩薩は、太陽や月の光が差別なく照らすように人びとを見守る仏様です。 本尊薬師如来よりも肉付きは控えめですが、腰のくびれや三曲法と呼ばれる流れるような姿勢は美しく、手を合わせる人びとを魅了します。花の装飾をデザインした宝冠や胸元の
薬師如来の座る
大講堂は、薬師寺の宗派である法相宗の教え「唯識」を学ぶ場所です。唯識の教主である弥勒如来が大講堂のご本尊です。弥勒如来は、弥勒菩薩が釈尊滅後5億7千6百万年ののちに悟りを開かれたときのお姿です。 中央に弥勒如来、向かって右に
大講堂の弥勒三尊像は、金堂薬師三尊像を模したと考えられます。当初は、
お釈迦様の弟子の中でも特に優れた10人を釈迦十大弟子とよびます。
仏足石のお釈迦様に随うように精悍な姿の十大弟子が並んでおられます。文化勲章受章者の中村晋也氏により平成14年(2002)に奉納され、平成15年(2003)大講堂落慶に合わせて安置されました。 インド風の風貌と、厳しい修行を続けて悟りを得た阿羅漢の風格をただよわせます。
国宝を真近に自分の目で見て、当時の物が
こんなに美しく残されている事に感動しました。
食堂へ入るとお坊さんが説法をしていました
途中からでしたが、お話しが面白くて聞き入ってしまいました。話しの終盤は「心」のお話しでした。私自身病気を患い、色々な事があり心が疲れていたのか、説法が心に沁みて涙が溢れていました。説法の後、お坊さんに感謝の気持ちを伝え、説法を聞かせて頂いたお礼として写経を買わせて頂きました。
薬師寺へ行って本当に良かったです。