下町まちしるべ
帰り道に昔の地名の由来について書かれた案内の前を通りかかりました。 旧上根岸町 きゅうかみねぎしまち 呉竹の根岸の里は、上野山を背景にした田園風景と清流 音無川の流れる静寂の地であった。 江戸時代から「根岸の里の侘び住まい」といわれ多くの文人墨客が好んで住んだ。 そのむかし、この付近には大きな池があった。そして上野山のもと(根)にあったことから、 すでに室町時代には根岸と呼ばれていた。江戸時代初期、根岸は金杉村に属し、いくつかの民 家が建っていた。風光明媚の地であったことから文化文政(一八〇四~一八三)の頃には別荘 地として二百戸余りになっていた。明治二十二年(一八八九)、根岸は下谷区に編入されたあと すぐに上根岸 町、中根岸町、下根岸町に分けられた。 「雀より鶯多き根岸かな」 俳人正岡子規は、明治二十五年から同三十五年まで根岸に住んだ。 今、その住まいは「子規庵」として残されている。室町時代から根岸という地名があったのですね江戸時代初期の金杉村の民家や雰囲気も気になります。正岡子規の暮らしていた頃は、雀より鶯が鳴いているような場所だったんだあ今とは違い自然豊かだったのかもと当時の風景を想像するだけで楽しめます。急に今夜は鶯餡を作ってみようかと思い付きました。家族がたまに作ってくれた思い出の味です。本日再びのご縁初めてのご縁お時間頂戴いただきありがとうございました。まだ暑いですが秋への移り変わりが楽しみですね。その頃にまたお顔が見られたら嬉しいです。
先程半年振りに
書道博物館へ行ってきました。
大河ドラマに漢文の映るシーンがよくあるのと、
祖父母が書道を嗜んでいたので(でも私は字が下手)親しみがあります。
現在の企画展は「敦煌写本の世界」
初めて行ったのは中村不折のすべて
その次は呉昌碩の世界
今日で三度目になります。
気になった解説の箇所や私の感想などノートにメモをとるようにしているので今回はメモの一番を載せます。
楷書の美しさが頂点に達したのが唐時代その立役者が欧陽詢さん。
敦煌写本で見る楷書 随
芳名帳
メモりすぎですねっ
このくらいにしておきます。
いかにも貴族が好みそうな字
という物が他の字と比べてどんな風に違うのかが目で見て理解出来たのと価値のある三国志や論語の写本もじっくりと鑑賞出来て他の来館者は真剣に書を読んでいる人が多く私にとって最高の空間でした。
涼しかったしね
ここにもイギリスと日本との繋がりのある物があったのがすごく嬉しい。
本日もお招きありがとうございました。
お話されていた「安寿と厨子王丸」目を通してみますね。